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さやぼんの頭ん中

ボードリヤール

機会は工業社会の象徴だったが、ガジェットは脱工業社会の象徴である。この言葉の厳密な定義は存在していない。しかし、消費対象とはあるモノが客観的機能(道具性)を相対的に失って記号としての機能をもつようになったものとして(消費対象として)規定されるなら、そして消費対象が一種の機能的無用性(何を消費するかといえば、それは「有用物」とはまったく別のものを消費することなのだ)を特徴としていることを認めるなら、ガジェットこそは消費社会におけるモノの真の姿なのである。それゆえ、すべてのモノはガジェットになりうるし、潜在的にはガジェットであるといってよい。

モノは「工場の組み立てのラインから出てきたばかりの」既成記号として、神話的に機能する。

時間は、その現実の内容に先立って存在する先験的・超越的次元である、時間はあなたより先に存在していて、あなたを待っている。もし時間が労働のなかで疎外され奴隷化されているなら、あなたは「時間をもたない」。反対に時間が労働や拘束の外にあれば、あなたは「時間をもつ」。水や空気と同じように絶対的で譲渡不可能な次元である時間は、したがって余暇のなかで再び万人の私有財産となる。Pp226



# by new-seaing | 2012-12-14 00:35

作る哲学

「内なるもの」を破壊してきた「物質主義」の支配のなかで「精神の運動」が兆してくることを、絵画以外も含む芸術活動において確認しようとするところであり、カンディンスキーは兆しの一つを劇作家モーリス・メーテルリンクに認め、言葉のもつ「内なる響き」がしだいに純粋に響いてくるさまを段階的に記述している。


手段は目的によって規定されるーそれゆえ目的は手段を通して理解される」カンディンスキー
目的なき手段を考えることは不可能である。手段は目的の表象なしに手段とならない。



# by new-seaing | 2012-11-14 00:31

Milanda july

コミュニケーションは私の人生の中心的な楽しみです。私は気持ちを表すための新しく、よりよい方法を常にあれこれと考えています。結論が出るとか出ないとかじゃなく、暗い部屋にひとりでいるときでさえ考えてしまうんです。でも、何よりも素敵な瞬間は、私の思いもよらない、それでいて私が考えつくよりものよりもうっとりするくらい的確な方法で、誰かが気持ちを返してくれるときです。これは本や会話やパフォーマンス、どんなかたちででも、どんな年齢の誰にでも起こりえます。



# by new-seaing | 2012-05-02 07:19

Monique Frydman

画家とは何でしょうか。それは、ある言語を適用して、創作活動をする人間です。言語と言っても、われわれが話している言葉、音楽、身振り、手振りのジェスチャーではなくて、ある特殊な言語であり、画家とは、それを使って、空間を開いていく、ある知覚を感じ取って開いていく作業をする人間のことを指しています。そして、その特別な言語によって、鑑賞する人たちの感覚の世界も開いていきます。つまり、ある意味奇跡とも言えますが、その言語を使うことで、国や言葉が違っていようと、美術作品を見る人たちは新しい感覚に対して開かれていくと思うのです。


絵画というのは娯楽ではなく、そこには存在を深めていく何かがあるからです。

バーネット・ニューマンは、ご存知のとおり、抽象絵画の作家ですが、非常に重要な問題提起をしています。つまり崇高性ということで、すばらしい色の緊密さがあります。これは人間の範囲を超えているとも言えます。つまり、見る人が絵の中に入って、それによって崇高な聖域に入る。別に宗教的な意味で言っているわけではありません。聖域に入っていくことが可能であるということを見せてくれた作家



# by new-seaing | 2012-03-11 23:41

process of thesis

今アートには、「世界観」が求められている。ただ単に新しいとか、美しいとか、面白いとかいうだけでは不十分だ。なぜ今、この時期に、この場所で、この表現を行わなければならないのか。
毛利嘉孝
(社会学者、東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科准教授)


展覧会はメディアだ。
単なる空間や、作品を発表する場、というだけではなくて。「展覧会」をいう機会はそれを使って発信すること、問いかけること、考えること、いろいろなことが出来ます。その可能性をもっと探
神谷幸恵
(広島市現代美術館学芸担当課長)

2011.10,23
世界に良い想像を生み出すため;arts and crafts日常、生活の実践
全ては想像力が現在も未来も決めている

世界の眼に見えるものは全てCODE。
ファッションがCODEを超え、日常的に想像力を沸き立つものにするためには?
ユートピア:衣服が記号を超えて表象となるとき

CODEを超えるもの:感覚、身体性に訴えかけるもの。認識と現実の間にあるもの。CODEを超えるために物語がある
モノに記憶や物語を付与することで時間が生まれるのはCODEを超えるから?思考が入るから?想像力が沸き立つから?

HaaTのMADE IN JAPANで考えたとき、それがタグに記載されているだけの記号であるのなら意味はなく、なんの想像力もわかせない。人々に身体的に感覚的にMADE IN JAPANが伝えることができたときに初めてそこに意味が生じる。
【プロジェクト】MADE IN JAPANを感覚的、身体的に伝えるためには?

生物学的、遺伝子的に考察しても人間という生物は孤独な生き物。この孤独を乗り越えるために人々は常に地球に宇宙に問いかけてきた、自分たちと同等な生物がいないか、どのようにわたしたちは作られたのか。孤独から逃避するための探求は結局、自分たちは何者なのかの問いとなる。


PAX AMERICANA PAX ROMANAを超えるPAX INDIVIDUAL
結局人間は、どの時代も属するもので自分を認識し、どこかに属するという安心感から孤独を回避してきた。それゆえにモノにはあまり注意を払ってこなかった。実はモノにこそ時間を生み出す力があるのにもかかわらず

土地は全て一緒。ただそこに想像力が湧くか湧かないかの問題。言語も同じ。そのことばを使っていて想像力が湧くかわかないかの問題。衣服も同じ。想像力がわくかわかないか。

土地に時間を定義されるのではなく、自分で時間を選ぶことができる。それはマトウ衣服、住まう空間、個人の生活によって。
→衣服でいろんな場所にいける
想像力と衣服の関係性→デザインという分野の重要性を定義する

視覚 触覚 現象 認識 時間 記憶


thesis

How can creativity mind make the change society?
How can we make creative mind?

→influence of creative industry,
case 1,) ISSEY MIYAKE


HUMAN AS AN ARHITECT
Contextual fashion
Case1 fashion
Clothing as representation of human identity

Clothing as representation of culutural identity


■裁縫と裁断が行われることによって世界はどう変わったか
アイデンティフィケーションからみる衣服の変遷

ポストコロニアルな状況の中で衣服文化が自民族固有の土着的なものから、所謂洋服に変化することでどのような影響があったのか
衣服に含意する物語の再考
前提:文化的アイデンティティとしての衣服
表象としての衣服
アイデンテティを、すでに達成され、さらに新たな文化的実践が表象する事実として考えるのではなく、そのかわり、決して完成されたものではなく、常に過程にあり、表象の外部ではなく内部で構築される「生産物」として考えねばならないだろう。
Stuart Holle

空間としての衣服
→ロザリンドクラウス「拡張する場」
展開
差異の文化の中の衣服





■一貫するという暴力 知の体系の暴力 認識論の暴力
問題なのは、この新聞記事で表象される問題の一貫性である。
その眼差しの連続性とは、過去、現在に関係なく「沖縄」が自明のものとされ、一方的に「沖縄」的な痕跡だけを「発見」する眼差しが貫かれているということである。Pp127 人種・エスニシティ 本山譲二

→『知識人とは何か』サイード
 『サバルタンは語ることができるか』スピヴァック
 『黒い皮膚・白い仮面』フランツファノン
 












現代のシステムが正確にはどのように機能しているかという分析に対して、強い緊張感がそこにはある。

→新しい世界資本主義は、古い産業資本主義とは違う魔物
ユートピア的ではなく、実利主義的な精神的許容部分を要求している新しいグローバルな帝国主義

■ユートピアとしてのcreative産業
実利主義ではない構造

支配権の新たな形、急進的な脱地域化されたものとしてのグローバリゼーションについて強調している点

<土着的コスモポリタニズム>
文化的民族主義の絶対的な相違と、同時に普遍的な啓蒙の偽りの約束の拒絶。

大半の問題は人種的、道徳的相違と差異の問題に関係があるもの

見た目とは結局差異の刻印であり、人種差別もまた差異についてです。とりわけ、まるで寝台に刻まれているかのような見た目の違い、「表皮体系」とフランツ・ファノンが言ったもののと同様に、より明白でない差異のカテゴリー

■差異としての衣服
←アイデンティティとしての衣服

「土着的近代化」と呼ぶ下からの近代化
移住はパラダイム経験のようなものであり、よくも悪くも、グローバリゼーションの最新の形 それは<上部構造と呼ぶグローバリゼーションの一部、つまり資本、金、メッセージ、メディア、テクノロジーの補足的な世界循環であり、
おもしろいことに、移動すべきでないことになっているのが、もちろん労働です。資本と商品は移動できるが、人間は移動すべきではないということになっている。イメージとテクノロジーは移動できるが、労働は現状を維持するべきで、それにより先進国が、第三世界の低賃金の労働条件につけ込むことができるのです。それで移動もまた、いくぶんグローバリゼーションの理論への抵抗で、ある人は 「なんで餓死したり、栄養失調で死んでいくわたしの子供たちを見たり、貧乏してまでここに住む必要があるのか、まともな生活がしたい!」そういうことで、移動も近代化の一種になった。Pp213

■移民の中の衣服の変遷
←文化的触発+自民族:アイデンティティの崩壊or更新


移動をまさに現代的な事実にしている緊張のひとつです。

新しいグローバルシステムの矛盾

上からのグローバリゼーションは、特有の文化的性質を持っています。その証拠に、それらが米国と西ヨーロッパ、西欧中心的構想により支配されており、さらに文化産業と先進国世界の技術基盤、そして文化的生産と芸術的作品とさえ結びついているからです。文化的で受けの良いアートが、その世界を支配し、その影響が均質化したものになる。それは世の中のNIKE化の傾向に原因があります。すべての国際空港をまったく同じように見せかけ、ラス・パルマスやモスクワであろうが、みんな同じサイズ、同じかたさ、同じ味のビックマックを量産すること同様、すべてが同じように見えるようになる。標準化、均質化、—これはとても協力な地政学、文化的な暴力pp215 216

■下からのグローバリゼーションとしてのcreative産業

Design History
branding authenticity: Cambodian ikat in transnational artisan partnership
Susan Falls and Jessica smith

Art Journal
Charles and Ray Eams in India
Saloni Mothur



# by new-seaing | 2012-02-14 00:41

言葉で伝えてみよう◎
by new-seaing

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